催眠術体験記

●武道の気合術

古流武術家の甲野善紀氏に『武術を語る(徳間文庫)』という著書がある。
中の「霊術と武術」という章に、松本道別という方が書かれた『霊学講座(八幡書店)』という著書の内容が引用されていた。

――(前略)相手が竹刀を大上段に振りかぶった所をエーイッと気合いを掛ければ、どんなに気張ってみても打ちおろせない。あるいは一刀を腰に差し柄に手をかけてまさに鯉口を切らんとする所へ、我輩がエーイッと気合いを掛ければ、幾らもがいたって抜けるものでない。この時我輩が竹刀か扇子の先で一寸押せばパタリと倒れ、竹刀か扇子の先で一寸肩先でも抑えて、「サア起きられるなら起きてみたまえ」と言うに、ウンウン言って抵抗するが遂に起き上がった者はない。(中略)塚原ト伝の鍋蓋試合など、以前は我輩も講談師の張扇から叩き出した法螺話と思っていたが、自ら会得するに及んで其の虚妄ならざることを知った。(後略)――

文中、仮名遣いの一部を筆者が変えている。
この松本道別氏は大正から昭和の初期に活躍した武術界でも有名な達人だったとのことだが、武道や心理学にあまり興味のない方は、上の文章を読んでも、
「嘘だろ。そんなこと、あるはずない」
と思われたのではないだろうか。

筆者も以前はこういった講談めいた話は眉につばをつけて聞いていたのだが、その後に自分が体験してみて、そうした現象が実際に存在することが理解できるようになった。
その体験の一つが、催眠療法の一環として催眠術にかかったことである。

●「催眠療法」を経験してみた

催眠術のデモンストレーションはテレビなどでよく紹介されているので、見た人も多いだろう。催眠術を掛けられたタレントが、術者に指示されるままに奇妙なふるまいをしたり、硬直したりする。
筆者もそれまでに催眠術や自律訓練法の本を読んで、そうした現象があることは知識として知っていたが、テレビで見ても半信半疑だった。
実際に自分が掛けられてみようと思い立ったのは、空手を習っていた時のこと。
当時は道場の他に、中野にあるウェイトトレーニングのジムに通っていたのだが、その中野駅の構内の広告スペースに「催眠療法」の看板が出ていたのだ。
「催眠術にかけられることによって心の抑圧が解き放たれ、精神的な問題や心が原因で起きた体の不調(鬱や不眠、神経痛など)が治る」
という内容だった。
特に精神面で不調ということはなかったが、それを見て上で引用したような、武術の名人が気合いで相手を金縛りにしたといったエピソードを思い出し、興味を惹かれて行ってみることにしたのである。

広告の住所は中野駅近くの普通のマンションの一室で、白衣を着た60歳前後のまじめそうな男性が術者だった。
10回コースで料金は10万円だったと思う。
筆者は値段の高さに驚きながら、好奇心からそのコースに申し込んだ。
もしかするとその時、既に術をかけられていたのかもしれない。

コースの第1回は、こんな感じだった。
まず薄暗くした部屋で、椅子に座らさせられる。
術者が前に立ち、身振りをつけながら、いろいろなことを言う。
「はい、眠くなってくる」
「気分がいい」
「自律神経系が整う」
といったセリフが、なめらかに続く。
同時に術者に手を添えられて、さまざまな動作をさせられる。
肩を回したり、すくめたり。
立ったり、座ったり。
言葉の暗示だけでなく、動作もつけるようだ。
よくテレビでやっているような、目の前で振り子を振るようなことはなかった。人によってやり方が違うのだろう。
20分ぐらいすると、今度は床に敷いた布団の上に横になるよう指示される。
その少し前に、
「はい。体が動かなくなる」
という、よく聞く決めのセリフが出てくる。
そうやって寝かしつけられた後、ヘッドフォンをつけ、術者があらかじめ吹き込んだ録音を聴く。

筆者の場合、いろいろなことをやったり言われたりしている間、ずっと意識ははっきりしていた。
手も足も動かす気になればいつでも自由に動かせると感じていたが、こちらが望んで術に掛かろうとしているのにわざわざ台無しにすることもないと思い、おとなしく言われるままになっていた。
寝かしつけられた後も、同じである。
録音テープから流れるセリフを聞きながら、そのうち頭がポーッとするような催眠状態に入るのではないかと期待していたのだが一向にそうはならなくて、頭ははっきりしたまま。
(テープなんか使って、手抜きじゃないのか)
と思ったりしていた。
そうこうするうちに、時間終了。
およそ1時間くらいだったと思う。
録音が終わりになると、また術者が出てきてヘッドフォンを外し、寝ていたこちらを起こして椅子に座らせる。そして、
「はい、催眠が解ける」
と言うのだった。
が……
解けるも何もこちらの感覚では、最初から術などかかっていない。
ただ1時間、言われた通りに立ったり寝たりしていただけなのだ。
(これでおしまい?)
なんだか詐欺にあったような気分だったが、
「まあ、10回コースの1回目だしな。次はちゃんとかかるだろう」
と無理に自分を納得させて、続けることにした。

●意思に反して動かせなくなった体

1週間後に、第2回があった。
この時も、1回目と何も変わらない。
内容は全て前回と同じで、こちらの意識も最初から最後まではっきりしていた。
とりあえず言われた通りにしていたものの、だんだん疑心がつのってきた。

さらに1週間後に第3回。
今度も椅子から立たせ、手を動かしたりするところまで、状況変わらず。
この頃になると、さすがに筆者も苛立ってきた。
高い料金を払って言われた通りやっているのに、3回目にもなって何も起きないのである。
(こんなのは詐欺だ)
椅子から立った状態で、
「はい、体が動けなくなる」
と言われたところで、もう我慢できなくなった。
それまでは言われた通りじっとしていたのだが、今回は強引に体を動かそうとした。
手を思い切り振り回して、
「すみません、全然かかってないんですけど」
と言ってやろうと考えたのである。
ところが……
(う?)
手が動かない。
あわてて足や頭を動かそうとした。
しかしこちらも、糊で貼りつけたように動かない。
(こんなバカな!)
筆者は混乱した。
頭ははっきりしている。確かに動かそうと思っているのに、動かない。
と、見ていた術者が今度は、
「無理に動かそうとすると、後ろに倒れる」
と言った。
とたんに筆者は、自分ではそんなことをしようなどと全く思っていないのに、直立不動の体勢のまま、
「パタッ」
と後ろに倒れてしまった。

(何が起きたんだ?)
そこまできてやっと、自分が既に催眠術にかかっていたことに気がついた。
それまで催眠術というのは、意識が薄れてきて自分の意志が消え、それによって相手の言うなりになるのだろうとばかり思っていた。実はそうではなかったのである。
意識ははっきりして、「こんなはずはない」と焦っているのに、それでも術者の言葉通りに体が動いてしまうのだ。

その後、回数を重ねるにつれ催眠も深くなっていったようだ。
途中、合気道の演武などでよくやる「名刺で割箸を割る」という体験もした。
催眠術にかかった状態で、手で持った名刺を振り下ろし、術者が両手で持った割箸に打ち付ける。
筆者が名刺を振り下ろすと、割箸は見事に二つに折れてしまった。
コースの後半には最初にイメージしていたような「頭がポーッとなる」という半覚醒状態も経験することができた。
寝かされていると、術者の声やテープの声がどこか遠くから聞こえてくる、でも何を言っているのかよくわからない。そんなイメージである。
「はい、目が覚める」
と言われると、パッと意識が戻り、頭がすっきりしている。
もともと精神の不調などは別になかったので、それでどこかが良くなったということはなかったわけだが、もしこの半覚醒状態の間に何か暗示をかけられていたら、おそらく自分で意識しないうちに、術者の言うなりの行動をとっていたのだろう。
ちなみに術者の先生は、自分の二人の息子にも催眠術をかけて集中力を高めさせ、二人とも東大に合格させたということだった。

●万能ではない気合術

こうして『催眠療法10回コース』は終了した。
10万円分の御利益があったかどうかは別として、最初に動けなくなった時の印象は強烈だった。
引用した武道の話に出てくる、気合いを掛けられて動けなくなったとか、指一本で飛ばされたとかいうのも、おそらくあの時の筆者と同じ状態なのだと思う。
催眠術の場合、被験者の合意を得てから、場所を選び、時間をかけてそうした状態を実現してゆくわけだが、それでも催眠にかからない人はいるということだった。
武道の達人となると、気合い一つで瞬間的に敵対する相手をコントロールしてしまうのであるから、レベル的にはずっと上に違いない。
とはいえ、それも万能というわけではないようだ。
上述の松本氏の著書(甲野氏の著書からの孫引き)の続きには、こうある。

――(前略)気合いの第一義は自己の腹力充実であるが、今一つ要件は相手を緊張せしめることである。もし相手が緊張せずに笑ってでもおれば、いかに猛烈な気合いを掛けても利くものでない。故に我が道場でも撃剣柔道などの有段者は最も実験に都合がよいが、精神統一の鈍い人ほど難物である。これは有段者達はいずれも精神の統一が出来ており、また「先生くらいなんだ。一撃の下に凹ませてやろう」という緊張した意気ぐみで向かって来るからである。しかるに精神統一の鈍い人は、「シッカリ来い」と言ってもだらけて緊張せず、ニヤニヤ笑って向かって来るから、幾ら猛烈に気合いを掛けても反応がない。(後略)――

つまり、達人の気合いといっても無敵の魔法技というわけではなく、利くかどうかは相手の精神状態により、むしろ武道家より素人の方が、修養の進んだ人間より単なる怠け者の方が、扱いにくいらしいのだ。
これでは達人同士の対決では有効でも、街のチンピラ相手にケンカする時には使いにくそうに思われる。
考えてみると筆者が催眠療法に通っていたのも、ちょうど空手で初段をとろうとがんばっていた頃だから、実は催眠術にかかりやすい状態だったのかもしれない。

高名な催眠術師である林貞年氏の著書『誰でもできる催眠術の教科書(光文社知恵の森文庫)』では、
「催眠とはトランス状態の一種」
とした上で、
「明治や大正の頃、催眠術は「精神統一法」とか「注意術」と呼ばれていたことがあります。その名の通り、催眠術では意識が一つのことに集中しています。これを『一点集中の法則』といって、催眠現象を起こすためには欠かせない要素といえるでしょう。」
と書かれている。
意識が集中している状態に導くとなると、確かに注意散漫な人にはかけにくいだろう。
舞台に観客を上げて催眠術のパフォーマンスを行う場合は、不まじめな態度でヘラヘラしているような人は催眠にかかりにくく、他の人の催眠導入の妨げにもなるので、適当に理由をつけて追い返すそうである。

この本では一瞬で被験者を催眠状態に入らせる「瞬間催眠術」の具体的な導入方法や注意点についても説明があり、林氏が学生時代に道を歩きながら友人を瞬間催眠にかけた体験談なども紹介されている。
「明治や大正の頃の催眠には、一見武道のようにも見えるパフォーマンスが多く、まるで気合術を思わせるような方法が主流でした」
とのことだ。

林氏によれば、催眠をかけるためには、非日常的な現象を催眠に結びつける被験者の心の準備が必要であり、『催眠』と言わずに催眠にかけることはできないということで、これを『基盤暗示』と呼ぶ。
「催眠」と言う代わりに「気」「霊」といった言葉を使って基盤暗示をかけてもよく、
「被験者の体が勝手に動き出すという同じ現象でも、気功師が行なえば、被験者は『気の力によって体が動き出した』と思い、霊媒師が行なえば『霊のしわざ』と思う」
とのことだ。
武道家が同じことを行なえば、「気合の力でコントロールされた!」と思うわけである。

●「最後の忍者」のエピソード

上の甲野氏の本には、甲賀流忍術の伝承者として知られる、藤田西湖氏(故人)のエピソードも載せられている。このエピソードは後日、『最後の忍者どろんろん (藤田西湖/新風舎文庫) 』で直接読むことができた。
藤田氏もやはり、気合いを利用した不思議な技の使い手だったようである。
大相撲の小結が藤田氏の評判を聞いて会いに来たので、力いっぱい押させたけれども、何度やっても藤田氏はびくともしない。
逆に藤田氏が軽くひねると、関取の巨体が簡単にひっくり返ってしまう。
「降参した」
と畳に手をつく小結に向かい、藤田氏は
「これは実をいうと、力じゃないんで、術なんだよ」
と説明する。
しかし小結がどうしても稽古をつけてくれというので、出かけていって砂の土俵の上でもう一度同じことをしようとした。
ところが今度は小結は、大地に根が生えたように小揺るぎもしない。
「忍術の手も、忍術の相手の力を無効にする術も、トンと通用しないのである」
「やはり餅は餅屋というが、相撲取りは土俵の上では強い。公衆の面前で大失態を演じたのは、このときが初めてであった」
と藤田氏は語った。
これについて著者の甲野氏は、
「この藤田翁の率直な思い出話からも明らかなように、「感応によって、相手を制する。」というのは、雰囲気、その他無言のうちにも相手を囲い込み、縛る暗示や条件などが必要であり、それは術者(この場合は藤田翁自身)も気がつかないほどの実に微妙なものなのである」
と述べている。

講談本や時代小説に出てくるような達人の不思議な技は、もちろん筆者には使うことなどできないし、今後使えるようになるとも思えないが、かといって別にほら話ではないと今では考えるようになった。
それは自分の経験から、人の心と体が決してバラバラなものではなくて、見えないところでつながっていると知ったからだ。
心と体がどういうメカニズムでつながっていて、どうすればそれをコントロールできるのか。
この点は現代医学もまだ捉えきれてはおらず、優れた武術家や気功師、催眠術師などの方が体感的に理解しているようにも思う。

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