『現代貨幣理論(MMT)入門』 1 マクロ会計の恒等式

●民間が黒字なら、政府は赤字

このところ話題になっている現代貨幣理論(Modern Money Theory)。
筆者も経済ライターとしてMMT関連の取材をすることが多くなったが、MMTについて体系的なレクチャーを受けたことはなく、MMT支持派、否定派のどちらの話を聞いても隔靴掻痒の感が強かった。
たまたま、これも仕事でL・ランダル・レイの『MMT 現代貨幣理論入門』を読む機会があったので、自分の勉強がてら、この本の解釈を試みたいと思う。

MMT、現代貨幣理論は、本書冒頭の解説によれば、1990年代に本書の著者であるレイや、ステファニー・ケルトン、ビル・ミッチェルらが唱え始めたもの。
レイは1998年に『Understanding Modern Money』を上梓している。その後、2012年に自身のブログをまとめる形で本書を出版し、2015年に改訂版を出した。それが日本語版の原著となっている。
MMTのベースとなる考え方の一つが、

国内民間収支+国内政府収支+海外収支=0

という、「マクロ会計の恒等式」である。
本書の第1章で取り上げられている。
レイによれば、最初にこれを指摘したのは、リーマンショックを前年のうちに予言したことで知られる経済学者、ワイン・ゴッドリーとのこと。
もっとも、内容的にはごく常識的なことである。

例として、日本経済を考えてみよう。
まず、日本が鎖国していて、海外との取引は一切ないものとする。
この場合の国内経済を、民間部門と政府(公的部門)に大別すると、下図のようになる。

民間は政府に各種の税金、それに健康保険や国民保険などの保険料、各種申請手続きの手数料などを納めている。
それに対して政府は民間に、仕事を発注したり、補助金を出したり、公務員の給料を払ったり(公務員といえども、家計については民間経済の一部である)といった支出を行っている。それらをまとめて財政支出と呼ぶ。
民間が政府に払う税金や保険料に比べて、財政支出のほうが大きければ政府は財政赤字となり、小さければ財政黒字となる。
政府が財政赤字を計上すると、それは民間部門にとっては黒字である。その分、民間部門の持っている金融資産(債権)が増える。同じ額だけ、政府の借金(累積債務)も増える。
政府が財政黒字になると、それは民間部門にとっては赤字を意味している。黒字の分、政府の累積債務は減る。政府の債務が減った分だけ、民間部門の金融資産も減る。

ここまではおわかりだろうか。
これはこのブログの以前の記事「政府が借金を減らすとは民間の貯金が減るということ」で書いた内容と同じである。
外に対して閉じた経済では、一つのセクターの黒字は他のセクターの赤字であり、一つのセクターの赤字は他のセクターの黒字であるということだ。

●交易相手が赤字なら、こちらは黒字

次に、日本が鎖国を解いて、海外と通商を始めたとする。
その場合の経済主体を民間、政府、海外に分けると、下図のようになる。

国内における政府と民間のお金のやり取りは変わらない。
ただ政府、民間とも海外と交易したり、投資したりされたりするようになるので、日本経済全体として海外との間でお金のやり取りが発生する。
そのやり取りを全部足し合わせた結果が「経常収支」で、これが日本から見て黒字であると、海外から日本にお金が入ってくる。赤字なら、日本から海外にお金が出ていく。

このときの経常収支は、民間部門の収支と政府の収支を足し合わせたものである。
ここはちょっとわかりにくいかもしれない。
数字を入れてみよう。
今、政府の支出が10で、収入が5とする。
一方で民間の支出が10で、収入が20とする。
これだと、国内でのお金のやり取りだけでは、収支が合わない。
民間は10支出しているのに、政府には5しか入っていない。
民間には20入っているのに、政府は10しか支出していない。
なぜ合わないのか?
それは海外との取引があるためだ。
この場合、たとえば民間が海外に5払い、海外から10受け取っているとすると、収支が合う。
下図がそれだ。

あるいは民間が海外に6払って12受け取り、政府が海外に2払って1受け取る、でもよい。
その場合は下の図のようになる。

どちらの図でも、政府は5の赤字、民間は10の黒字で、経常収支は5の黒字である。
要は民間部門の収支と政府の収支を足し合わせたものが経常収支になればいいのだ。

もし民間の収支が黒字で政府も黒字なら、その両方にどこかからお金が入っていることになる。お金が入ってくる先は海外しかない。なので経常収支は黒字となり、その黒字額は、民間の黒字と政府の黒字を足した額になる。
同じように民間が赤字で政府も赤字なら、経常収支も赤字となり、その赤字額は、民間の赤字と政府の赤字を足した額になる。
実際の日本では、民間が黒字で政府は赤字だが、足し合わせると民間の黒字の方が大きい。そのため経常収支も黒字となる。

ここで注意が一つ。
一般に「経常収支」というときは日本を中心にして黒字赤字を考えるが、ワイン・ゴッドリーのマクロ会計の恒等式の「海外収支」は、「海外」を中心として考えている。つまり日本の経常収支が黒字というとき、この恒等式では海外はマイナスになる。
だから3部門を足し合わせると0になるわけである。
この恒等式は日本でも、アメリカでも変わらずに成立している。
先日、日経新聞の記事を見たら、MMT派とはみなされていないアメリカのエコノミストも当然の前提としてこの恒等式を使っていたから、世界的にはもう常識となっているようだ。

●景気がいいと民間部門は赤字になる

この恒等式でもう一つわかりにくいのは、「民間部門の赤字」が意味する状況だろう。
ここでいう民間部門とは、家計と企業を合わせたものである。
恒等式によれば、経常収支が一定であれば、民間部門が赤字になるほど、政府部門は黒字になるはず。逆に民間が黒字幅が大きくなれば、政府の赤字幅も大きくなるはず。
一般に、景気が良いと企業も家計も収入が増え、企業の場合は利益、つまり黒字も増える。
景気がよくて民間の多くの企業が黒字で、家計の収入も増えているなら、全体としての民間部門も黒字幅が大きくなっているだろう……と、常識的には考えたくなる。
だがもしそうだとすると恒等式からは、「景気がいいときほど政府の赤字が増える」ということになってしまう。

実際はそうではない。
家計では年収が増えると、所得税を余計に政府に納めるようになる。収入が増えた分、買い物の額も増え、すると政府に納める消費税も増える。
企業は赤字だとほとんど税金を払わないが、黒字になるとそのうち何割かを法人税として政府に納める。このため景気が良くなって黒字化する企業が増えると、法人税の徴収額は激増する。
景気がいいと不動産価格も上昇するため、固定資産税も増える。
つまり景気が良くなるほど、政府の税収は増え、財政の赤字は減るのだ。
現実の経済を見ても、その通りになっている。
この原稿を最初に書いた2019年時点の日本もそれまでの数年、景気が比較的良かったため、財政赤字は縮小傾向にあった。もし消費税増税やコロナ危機がなく景気がさらに良くなっていれば、財政黒字とまではいかなくても、財政のプライマリー・バランス(国債関連の収支を除いた財政収支)が黒字化する可能性もあった。
実際はその真逆になってしまったわけだが、ここで言いたいのはそのことではない。
はっきりしているのは、民間の景気がいいと政府の税収が増え、財政が好転するということである。日本だけでなく、アメリカでもドイツでも、どの国でも同じだ。景気と税収の間には、誰もが認めざるを得ない絶対的な相関関係がある。

しかし、だとするといったい、どういうことなのだろう。
ゴッドリーの恒等式が間違っているのか?
それとも景気が良くて企業が利益を積み増し、家計の収入が増えていく時期は実は、民間部門は黒字ではないということなのか?

正解は後者である。
ゴッドリーの恒等式は、「1足す1は2である」というのと同じぐらい当たり前のことを言っているだけなので、間違いようがない。
非常に逆説的に感じてしまうのだが、実は景気がよくてみんなが儲かっているときほど、民間部門の金融資産は減っていくのだ。
それがこの、ごく常識的に見える恒等式から導かれる結論なのである。

話を単純化するために、時計の針を昔に戻し、まだ企業というものが存在しなかった時代を考えてみる。
海外との交易がなく、企業も存在しないとすると、日本経済は政府と家計しかなくなる。
このとき、政府が税額を増やして財政支出を減らし、財政を黒字化すると、民間の貯蓄は政府に吸い上げられ、減ってしまう。逆に税額を減らして財政支出を増やし、財政を赤字化すると、民間の貯蓄は増える。
ここまではいい。
では政府は何もせず、民間の景気がよくなった場合はどうなるだろう。

ここに肉屋と八百屋と魚屋の3軒からなる国があったとする。
この国ではそれぞれの店が、他の2軒の店に年100万円ずつ支出していた。すると、3軒の年収は200万円ずつになる。
下図のような構造だ。
このように、閉じた経済では「総支出=総収入」という等式が成立する。

この国であるとき、国民の消費意欲(食欲というべきか)が高まって、それまで週に2回ずつ食べていた肉や魚や野菜を週に4回ずつ食べるようになった。結果、支払いの頻度が上がって、それぞれが別の2軒に半年で100万円ずつ、年間に直すと200万円ずつ、支出するようになった。
すると、3軒の年収は400万円ずつになる。
これが下の図の状態である。
ここでは国民の総支出が2倍に増えたために、総収入も2倍に増えたわけだ。これが景気が良くなった状態である。

反対に国民の消費意欲が下がり、週に2回ずつ食べていた肉や魚や野菜を週に1回ずつしか食べないようになったとする。
すると支払いの頻度も半分になって、それぞれが別の2軒に年50万円ずつしか支出しないことになる。
この状態では3軒の年収は、100万円ずつに減ってしまう。
それが下の図で、総収入が半分になり、国民それぞれの収入も半分になってしまった。これが景気が悪くなった状態である。

このように景気が良くなるとは、「期間当たりのお金の循環量が増す」ということであり、景気が悪くなるとは、「お金の循環量が減る」ということである。あるいは「お金の循環速度が増す」「お金の循環速度が落ちる」と言ってもよい。

ここで景気と税金の関係を考えてみよう。
この国に政府があって、売上の2割の所得税を徴収し、年間120万円を補助金の形で各戸に支出しているとする。
3軒の年収が年200万のとき、売上の2割は1軒あたり40万、3軒合わせて年120万円の税収となる。
ここから年120万円を補助金として平等に分配すると、プラスマイナスゼロで、財政収支はトントン、3軒の貯蓄額も変わらない。

景気が良くなって3軒の売上(=年収)が2倍の400万円になると、政府の税収も2倍の240万円となる。
支出が120万円で変わらないとすると、政府の財政収支は120万円の黒字となる。
逆に3軒では、1軒につき40万円、補助金よりも税金が高くなる。そこで税金支払いのため、年に40万円ずつ貯金を取り崩すか、誰かに借りて(ここでは借りる相手がいないが)税金を払う必要が出てくる。

景気が悪くなって3軒の売上が半分の100万円になると、政府の税収も半分の60万円となる。
支出が120万円で変わらないとすると、政府の財政収支は60万円の赤字となる。
3軒では、1軒につき20万円、税金よりも補助金が高くなる。そこでその差額、年に20万円ずつ貯金が増えていくことになる。

●税率を上げても財政赤字は減らない

おわかりになっただろうか?
上で見てきたように、景気が良くて売上が2倍に、年収も2倍になったときのほうが、家計の貯金は減ってしまい、景気が悪くて売上が減ったときのほうが貯金が増えていく。感覚的にはなんとも納得できない気がするのだが、事実はそういうことなのだ。
逆に政府から見れば、何もしなくても景気が良くなれば財政は黒字になり、景気が悪くなれば財政も赤字になる。

このような考察が、MMTのベースになっている。
MMTでは、「政府の財政支出は固定的な部分が多く、一方で税収は変動的な部分が多いため、財政収支の赤字・黒字は基本的に民間経済の状態によって他律的に決まる」と考える。
景気が良くなれば自然と税収が増えて財政収支は好転するし、景気が悪くなれば財政赤字が増える。
財政収支を好転させたいなら、民間の景気を良くする方法を考える必要がある。
それをする代わりに、財政赤字を解消させようなどと考えて税率を高くするようなことをすれば、それは家計の可処分所得を引き下げて支出を減らさせ、景気をさらに悪化させてしまう

上の3軒の例で言えば、各戸の支出が年200万円、支出も200万円だったものが、景気が悪くなって、支出が年150万円(他の2軒に年75万円ずつ)に減ったとする。
すると各戸の売上(=年収)も150万に減り、政府の税収(売上の2割)も90万円に減って、財政赤字になる。
政府はそれを見て、「財政赤字だから均衡させなくては」と税率を3割に上げることにした。

政府のもくろみとしては、各戸の売上の総計は450万円なのだから、そこに3割の所得税をかければ、税収は135万円になり、財政は黒字化するはずだった。
ところが課税された3軒は「収入が減っているのに税金が増えるのだから、もっと節約しなければいけない」と考えて、それぞれ支出を年100万円(他の2軒に年50万円ずつ)に減らしてしまった。
それにより3軒の売上も、それぞれ年100万円に減った。
「総支出=総収入」なので、当然そうなる。
税収はというと、税率を2割から3割に上げたのに、課税ベースが縮んでしまったため、年90万円で変わらなかった。
結局、増税したのに財政赤字は全く好転せず、景気が一段と悪化し、家計が貧しくなっただけ、という結果になってしまった。

年間100万円の収入があって、100万円の支出をしている家計よりも、年間150万円の収入があって、150万円の支出をしている家計のほうが暮らしぶりは当然、豊かである。その逆も同様で、150万円だった収入が100万円に減れば、支出を減らして帳尻を合わせるしかなく、それによって暮らしは当然貧しくなる。
上のケースでは不景気に加えて政府の増税により、家計の収入は200万→150万→100万円へと減り、支出もそれに応じて減ってしまった。それによって3軒はどこもはっきりと貧しくなった。
ところがその貧しくなったはずの3軒では、なぜかその後も貯金がどんどん増えている。
それは政府の財政赤字(=政府から民間への資産の移転)が毎年30万円あるからだ。
3軒に30万円なので、1軒あたりでは毎年10万円、貯金が増えることになる。
この状況が3年続けば、3軒の家計の貯蓄はそれぞれ30万円にまで増え、政府の累積債務は90万円に増える。
繰り返しになるが、民間の貯蓄=政府の債務なのである。
上に示したケースは実は、デフレ経済入りした1997年以降の日本経済の姿そのままだ。
家計の収入が減り続け、人々の暮らしが貧しくなる一方、家計の貯蓄は増え続け、政府の累積債務も増え続けている。

財政赤字を理由にした日本政府による消費税引き上げも、上のケースにおける増税と同じ効果をもたらす。
それがMMTの指摘である。
つまり税率を上げることにより家計の可処分所得が下がり、その分、家計が支出を削るため、課税所得が減り、税率を上げたのに税収は増えない。財政赤字は一向になくならず、一方で家計の収入は減り、誰もが貧しくなっていく、ということだ。
日本政府は1997年以来、それを繰り返してきた。
日本の給与所得のピークは1997年である。その後、給料は減ったが、金融資産は増えた。それに比例して政府の累積債務も増え、それを理由に消費税率がまた引き上げられた。
22年後の2019年になってもまだ、同じことが繰り返されている。
「日本の政治家とか財務省の役人とかマスコミとか、どこまで頭の悪い人たちなんだろう」
というのが、MMT派の感想なのである。

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