野菜と農薬

(本稿は2002年12月に公開した記事に加筆修正したものである)

●中国産冷凍野菜の残留農薬問題

2002年、中国産冷凍野菜の日本への輸入が一時的に停止されたことがあった。
原因となったのは2002年の春から夏にかけて、中国産冷凍野菜から基準値を超える残留農薬が続けて検出された事件である。
「パラチオン」「ディルドリン」「クロルピリホス」など、毎月のように新たな残留農薬が中国産の野菜から検出され、それがBSE問題から続いていた食品安全ブームに乗って、新聞やワイドショーで連日大きく取り上げられた。

この騒動のきっかけは「農民連食品分析センター」による検査である。
農作物に関しては厚生労働省が所轄官庁として検査を行っているが、このセンターではそれとは別に中国産輸入冷凍野菜に対して独自の抜き取り検査を行い、その結果、基準値を超える残留農薬を検出したとして、検査の結果を2002年3月に、商品名や輸入業者の実名つきで公表した。

政府もやらなかった検査を独自に行ったという農民連食品分析センターとは、どんな組織なのだろうか。
同センターのサイトを見ると、農民運動全国連合会という団体が、「国民の食料と健康を守る戦いの砦」として設立した検査機関とのことだ。
その設立趣旨を読むと、このセンターは国内農家の利益を守るために、輸入野菜や輸入穀物について独自の検査を行い、その危険性を糾弾するために作られたように思われる。
同じサイトの中では、
「昨年一年間の野菜輸入量は、過去最高の二百八十六万トン。そのうち中国産は、百四十九万トンで全体の五二%を占め、年々増加する野菜輸入のなかで、とくに目立った伸びを示しています。」
「輸入品が九割を占めている冷凍野菜。その中で中国産の割合は六三%(約三十万トン)。冷凍ホウレンソウでは一〇〇%(約五万トン)、冷凍枝豆でも六割(七万五千トン)が中国産です。」
と述べられていた。
どうやら今回の騒動の発端となったこのセンターの検査が、輸入野菜の中でも伸び率の高い中国産冷凍野菜を標的とし、その増加を阻止しようという意図のもとに行われたことは、ほぼ間違いなさそうである。

おそらく検査結果自体は正当なものだろうし、我々が毎日食べる食品の安全が重要なことも間違いない。
しかし輸入野菜を非難することが設立目的の検査機関の発表に乗ったマスコミの報道姿勢には、やや疑問が残る。
というのも日本の野菜農家の農薬使用量は、実は世界の中でも突出して多いからである。
そしてその実態は、消費者の目には伏せられている。

●農薬使用量を隠そうとする農水省

世界各国の農薬使用量については、国連食糧農業機関(FAO)により統計資料が作られ、「FAO quarterly bulletin of statistics」という報告書にまとめられている。
ところが日本の農林水産省は「比較の基準が公正でない」として、2002年の時点で既に10年以上もFAOに報告を送っていない。
このため国際比較ができるのは80年代の古いデータしかないのだが、それによれば日本は世界の3%に相当する耕地面積で、世界の全農薬生産量の12%を使用している、世界一の農薬使用国であることが明らかになっている。
耕地面積当たりの農薬使用量はアメリカの6倍、ヨーロッパの7倍ともいわれる。
たとえば米の作付け面積では中国は日本の15倍以上あるのだが、除草剤の使用量は逆に日本が20倍以上も多い。
単位面積当たりだと300倍を軽く越えることになる。

なぜ農水省は、FAOに農薬使用量のデータを送付するのをやめてしまったのだろうか。
「農薬の使用量が多いからといって、その国の農産物の安全性に不安が残るとはいえない。安全性に影響するのは、農産物を通じて消費者の口に入る農薬の量とその性質である」
というのが農水省の主張である。
しかし実際には誰の目から見ても、
「日本が世界一の農薬使用国だということが広く知られるのは都合が悪い。そんなことが明らかになるぐらいだったら、データを送るのをやめてしまえ」
という意図があるのは明らかだろう。

こんな状態で、
「中国産野菜に農薬が検出された。輸入野菜は危険だ。国産の野菜は安全だ」
などと、いったいどの口で言えるのだろうか。
たまたま中国産の野菜に農薬が濃く残留していたサンプルがあったということで、声高に騒いでいるけれども、では中国の野菜を調べたのと同じように日本の野菜を調べたのかというと、そんなことはないのである。

中国産野菜の残留農薬が少し前までフリーパスだったように、国内産野菜の残留農薬についてもこれまで十分な検査は行われていなかったし、たとえ検査で基準を超える残留農薬が検出されても、それが公表されたり、まして出荷元や扱い業者の名前を公開することは、少なくともこの騒動の前には全くなかった。

もし輸入野菜と同じやり方で国内産野菜の残留農薬を検出したら、どのような数値が出るだろうか。
なにしろ世界で一番大量の農薬が使われている国産野菜である。どんな結果が出るかわかったものではない。
怖ろしくてとても調べられないというのが、所轄官庁の本音ではないだろうか。

●官庁は国民の安全を第一に考えるべき

今回の騒動について中国側は「残留農薬に名を借りた輸入差し止めである」として、農民はもとより政府関係者も怒りを露わにしているという。
基準値を超える農薬が検出されたのは事実なのだし、別に中国に与するわけではないが、この一連の騒ぎには、明らかに政治的な意図を感じてしまう。

歴史的に見ても農水省の目は常に農協や農林族議員の方を向いており、消費者の権利と安全を守るという意識は希薄だった。
たとえば米の銘柄一つをとってみても、実際の生産量をはるかに超える量の「魚沼産コシヒカリ」が流通しているのに、所轄官庁である農水省は長年、半ば公然と行われてきたこの虚偽表示を黙認し、虚偽の事実が明らかになっても業者の名前すら公けにせず、営業停止処分を出すこともしなかった。
2002年のJAS(日本農林規格)の改正により、ようやく違反業者の社名が公表されるようになったが、処罰などはなく、意図的に銘柄米に安い米を混ぜて売るという明らかな詐欺行為に対しても『改善』の指示が出されるのみなのだ。
この不当に軽い処置一つからも、農水省の消費者軽視の姿勢がうかがえる。

そうした現状を考えると、この事件の余波が国産野菜にも及び、野菜の残留農薬検査体制が強化されたり、無認可農薬が日本国内で広く使用されている実態が明らかになったことは、大きな前進とも思う。

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上の記事を書いてから16年が経過した。
その後、日本の農薬使用状況には何か変化があっただろうか。

●農薬使用量が減りつつある日本

FAOは現在、食糧、農業、漁業、林業、天然資源管理と栄養に関する包括的統計データベース「FAOSTAT」を公開している。
2002年時点では「農水省はFAOに10年以上も農薬使用量についてのデータを供出していない」と指摘したが、現在はデータ供出を再開したようで、FAOSTATにも農薬についての日本のデータが掲載されている。
下の図はFAOSTATを使い、日本、中国、アメリカ、フランス、オーストラリアの5か国について、過去十数年間の単位面積あたりの農薬使用量の推移を比較したもの。
青が日本、黄色が中国、緑がフランス、赤がアメリカ、紫がオーストラリアである。

これを見ると、筆者が先の記事を書いた2002年には日本の面積あたりの農薬使用量が中国を大きく上回っていたのに、その後は中国の農薬使用量が年々増えて、2007年を境に逆転、直近のデータでも日本より中国の方が農薬使用量が多くなっている。
逆に日本はこの16年間で、面積あたりの農薬使用量が2割ほど減っている。
中でも残留農薬騒動があった2002年に前年比で使用量が大きく減っているのが目を引く。
農水省がFAOへの農薬使用量データ提供を再開したのもあるいは、
「日本より農薬使用量の多い国が現れた」
という安心感があったためかもしれない。

日本の農水省が2016年に発表した「農薬をめぐる情勢」というレポートでも、平成2(1990)年から平成22(2010)年の20年間で、日本国内の農薬出荷量が半分以下に減ったことが示されている。
ただ出荷量減少には農家の高齢化が進み、耕作放棄地が増えて農地面積が減ってきたことが影響している。
また少なくなったと言っても、日本の農家が今も欧米先進国の同業に比べて面積あたり数倍の量の農薬を散布していることには変わりない。

●農薬使用量が少ない欧米と多いアジア

前出の「農薬をめぐる情勢」にもFAOSTATを元に作成された、面積あたりの農薬使用量の国際比較が掲載されている。

これによると日本は韓国を抑えて使用量トップの一角を占め、イギリス、フランス、ドイツなどの3倍以上となっている。
EU諸国の中ではオランダが多い。これは同国で花卉(かき)栽培が盛んなためと見られる。花は見た目が大事だし口に入れることはないので、野菜より多くの農薬が使われるのが一般的なのだ。
一方で北欧のノルウェーは日本の20分の1以下と、極端に少ない。理由ははっきりしないが、気候が寒冷なため害虫が少なかったり、農地の年間の稼働期間が短かったりといった要因が考えられる。

FAOSTATのデータからは面積あたりの農薬使用量は欧米で少なく、日本、中国、韓国といった東アジアで多いことが見てとれる。
これはなぜなのか。

前出の「農業をめぐる情勢」の面積あたりの農薬使用量の国際比較のグラフには、「日本は高温多湿で病虫害が多いため農薬使用量が欧米より多い」という、いささか言い訳がましい注記がついている。
もともとEUでは農薬使用量や残留農薬の基準が、日本に比べはるかにきびしいとされる。
中国や韓国の事情はわからないが、日本の場合は各地の農協が農家に対して作物ごとの農薬使用方法を指導し、農薬販売も併せて行っている。前出の「農薬をめぐる情勢」でも、農家が使用する農薬の6割は農協経由としている。

わかりやすく言えば、日本の農家の農薬使用量を決めているのは農協なのだ。

農薬販売が農協に利益をもたらし、その農協が同時に選挙の際の農民票の取りまとめ機能も持つため、政治的に農薬使用量を抑えにくい状況は確かにあるだろう。

●消費者が農薬を多用させている日本

だが筆者は、日本で農薬使用量が多くなる最大の原因は、農家ではなく消費者にあると考えている。
日本人は食べ物の見た目に対するこだわりが強く、全ての野菜は出荷前に選別を受けて等級分けされ、わずかな虫食いや不揃いがあるだけで市場から弾かれてしまう。農家は少しでも歩留まりを上げるために大量の農薬を使い、虫や病気を徹底して遠ざけざるをえない。
誰も好きで農薬を使っているわけではない。使わなければ買ってもらえないのだ。
工業製品のように完璧な野菜を求めておきながら、「農薬を使うな」と文句を言うのは、自己矛盾というものだろう。

筆者も自宅の庭の隅にキュウリやナスを植えたりしているが、農薬は使っていない。おかげでナメクジが寄ってきたりアブラムシが湧いたりして、売り物になるようなきれいな野菜はなかなか育たない。
日本で有機野菜の市場が伸び悩んでいるのも、同じ理由だろう。
有機野菜には虫食いがつきものだ。
筆者などは庭で育てて収穫した野菜にイモムシがついていても、指で弾き飛ばしてなかったことにしてしまうが、台所を預かる日本女性の中には、買った野菜にナメクジやイモムシがついていたら耐えられないと感じる人も多いのではないか。

筆者や現在小学生の娘は庭で野菜を作るだけではあきたりず、庭に生えている雑草の中から食べられるものを探してきて、ハハコグサを天ぷらにしたりノゲシをおひたしにしたり、ノビルに味噌をつけてかじったりして喜んでいる。
一方で自分たちが今の日本では変り者であることも自覚している。

●テクノロジーが農薬問題を解決する

野菜の農薬問題の解決はさほど難しくない。
害虫フリー、病原菌フリーのクリーンルーム内に人工光源を置いた野菜工場で育てれば、農薬を一切使わずに見た目が完璧な野菜を生産することができる。そうなれば日本人の嗜好を満足させつつ農薬問題も解決できる。
日本では実際に今後、野菜の多くが工場で生産されるようになるだろう。
工業製品のような野菜を求めれば、工業製品としての野菜が供給されていく。それが時代の必然であると思うのだ。

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