本の書き方 「ピラミッド・プリンシパル」

 

●主題から始める構成法

前の記事で「本の書き方について話せ」と言われて、資料として書き方の本を読み漁ったと書いたが、その中には「これは役に立つな」と感じたものもあった。
その一つがバーバラ・ミントの『ピラミッド・プリンシパル』だ。著書『考える技術・書く技術』(ダイヤモンド社)で紹介されている。
ざっくり言うと「ピラミッド・プリンシパル」とは、レポートを主題から書き進めていく書き方のことである。

ミント女史は経営コンサルタントの文章指導担当として、顧客企業向けのレポートのまとめ方を指南している人だそうだ。
「わかりやすい文書は、最初にその文書で訴えたいメッセージ(メインテーマ)を述べ、続けてその論拠を挙げていく構成になっている」
と説く。
メインテーマは多くの場合、いくつかのサブテーマから導かれ、サブテーマ自体もその根拠となるいくつかの事実(ファクト)で支えられている。それを図解すると冒頭の図のように、一つのメインテーマをいくつかのサブテーマで、それぞれのサブテーマをいくつかの事実で支えるという、下にいくほど広がっていくピラミッドの形となる。これを「ピラミッド・ストラクチャー」と呼ぶ。

わかりやすい文書の構成は、まずピラミッドの頂点となるメインテーマを打ち出し、「なぜそう言えるのかというと」といって最初のサブテーマに移り、そこでまた「なぜそう言えるのかというと」といってサブテーマの論拠となる事実を挙げていく。
ピラミッドの頂点から書き始めて土台に向かって下りていくように書き進むわけだ。
底辺まで下りて、一つのサブテーマの論拠となる事実を一通り挙げ終わったら、「ということでこれが言えるのである」と結論して、次のサブテーマに移る。同じようにして全部のサブテーマを論じ終わったら、レポートは完成だ。

●頂点から土台へ書き進める

例を挙げてみよう。
以前の記事でも取り上げた、
「累積債務が多くても日本の財政は心配ない」
というテーマでレポートを書くとする。ちなみにこれは筆者が畏敬する、経済学者の高橋洋一先生が大好きなテーマだ。
まずはこのメインテーマを最初に書く。
次にメインテーマを支えるサブテーマを考える。
たとえば、「(なぜなら)日本政務の債務は確かに多いが、一方でそれなりの額の資産もある(からだ)」という指摘。これはサブテーマの一つということになる。
続いてこのサブテーマを支えるファクトに移るが、そのファクトも何種類かに分類できるような場合がある。その場合は事実というよりは主張であり、「サブサブテーマ」といえる。

たとえば、「政府には民営化すれば株式売却で収入が得られる官営事業がたくさんある」というのは、「それなりの額の資産がある」というサブテーマを支える論拠なのだが、事実というより主張のレベルである。
そこでこれをサブサブテーマとして、その論拠となるファクトを挙げていく。
「日本郵政傘下のゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式は2017年までに全額売却されるはずだったがまだ○○億円分残っている」
「財務省の傘下にも日本政策金融公庫や国際協力銀行があって、その株式は売れば○○億円になる」
といった具合。
ここでやっと具体名や金額が出てきた。ここまでくればファクトとして扱える。

「官営事業関係の資産」というサブサブテーマの論拠となるファクトの列挙が一通り終わったら、今度はその上位のサブテーマである「それなりの額の資産がある」の論拠となる第二のサブサブテーマを挙げる。たとえば、
「政府は売却可能な不動産をあちこちに持っている」
という指摘。これもまだファクトというより主張のレベルだ。
そこでその論拠となる、
「大手町のどこどこに××省所有の土地が○○㎡あり、時価〇〇円相当」
「六本木のどこどこにも○○㎡で、これが時価〇〇円」
といった事実を挙げていく。
これで具体名と数字というファクトレベルまで下りることができた。
「不動産をあちこちに持っている」という第二のサブサブテーマとその証拠となる事実が出尽くしたら、他に「それなりの資産」に該当する第三のサブサブテーマに移る。こうして全てのサブサブテーマの論証を終えたら、「政府にはそれなりの資産もある」というサブテーマの論証も完了だ。

第一のサブテーマの論証が済んだら、今度は第二のサブテーマ、つまり「財政は心配ない」というメインテーマを支えるそれ以外の論拠に移る。たとえば、
「日本政務の債務は確かに多いが、それに支払う利払額は安い」
といったことだ。
このサブテーマも主張レベルなので、続けてその論拠を挙げていく。
「国債金利が低く、歳出に占める利払費の割合も低い」
これはサブサブテーマ。これも主張なので、その論拠を挙げる。
「現在の10年物国債の金利は0.1%台。利払い費は9兆円で、歳出の10%以下に留まっている」
この場合は数字がきっちり入っているのでファクトといえる。

ファクトまでいったので、これでサブサブテーマの論証がとりあえず一つ済んだ。
他にファクトがあれば続けて挙げ、なければ次のサブサブテーマに移る。
たとえば、
「他国と比較しても利払い費が高いとはいえない」
このサブサブテーマも主張レベル。なのでその論拠を挙げる。
「日本よりGDP比で累積債務の少ない××国でも、GDP比で日本よりはるかに多い金利を払っている。その割合は○%」
「しかし××国に財政に問題は出ていない」
これも数字が入っているのでファクト。
ここまででサブテーマ「政府債務の利払い費金利は高いとはいえない」の論拠を一通り出すことができた。他にサブサブテーマがなければ、このサブテーマはおわりにして、第三のサブテーマの主張とその論証に移行する。
とまあこんな感じで、上の図を右側から順次解説していく。

●なぜピラミッド方式なのか

このようにピラミッドの一番上のメインテーマからいったん一番下のファクトのレベルまで下りていき、一番下についたら少しだけ上がってまた下がり……というような順序で議論を進めていく書き方が、「ピラミッド・プリンシパル」である。

なぜこの順序で構成するとわかりやすいのか。
ミント女史は、
「書き手がメインテーマを述べると、読み手は『なぜそれが言えるのか?』と疑問を抱く。そこでその理由(サブテーマ)を述べる。疑問とそれに対する答えという形を連続させることで、メッセージの納得性が高まる」
とする。
メインテーマ(たとえば「日本の財政は心配ない」)の論拠として何かのサブテーマ(たとえば「政府にはそれなりの資産がある」)を主張すると、ここでも読み手は「本当か? どこにいくらあるんだ?」と疑問を抱く。そこでさらにその論拠となるサブサブテーマ(たとえば「官営事業の株式がある」)を述べる。読み手は「で、それはいくらなんだ?」と疑問を抱く。そこで「○○億円だ」と数字を挙げてやる。
こういう書き方が、ミント女史の言葉を借りれば、「疑問と答えのプロセスを繰り返していく」ということだ。

さて。
ここで「本の書き方」シリーズの前の記事「話すように書く」を読んだ読者なら、
「あれ? どっかで聞いたような書き方だな」
と首をひねるはずだ。
そう、「話すように書く」で筆者は、「読者の『つっこみ』に応えるように書き進める」ことを説いた。
しかし「つっこみ」とは、言葉を換えれば「疑問」ということである。
「疑問と答えのプロセスを繰り返す」とは、「読者の『つっこみ』に応えるように書いていく」ことと、どこが違うのだろうか?
違わない。
筆者に言わせればミント女史の「ピラミッド・プリンシパル」とは、「一人つっこみ方式」のレポート版である。
違いは「最初にメインテーマから始める」ということだけだ。
メインテーマを最初に掲げて、それに対する読者の疑問に答え、その答えに対して湧いてきた疑問にさらに答えていく。
そうすることによって読者が抱いた疑問=つっこみを最速で解消していくことができるので、読者にとってはストレス最小で読むことができるのだ。

おわかりだろうか?
前回の「本の書き方 『話すように書く』」で「読者をしらけさせないためのテクニック」として紹介した「一人つっこみ方式」は実は、コンサルティング会社が顧客向けに出す経営課題解決レポートを書く上でも有用――というかまず第一に従うべき大原則だったのである。
『考える技術・書く技術』を読んで、筆者も初めてそれに気がついた。
「なんだ。オレが前から考えてたことと同じじゃん」
と思ったのである。

ミント女史によれば、「書き手による論理の展開が、読み手の頭の中の理解のプロセスと一致している」ことが「わかりやすい文書」の条件だという。
「ピラミッド・プリンシパル」で書いたレポートが読みやすいのは、その書き順が読み手の頭の中の理解のプロセスと一致しているから。
言い換えれば「読み手の頭の中の理解のプロセス」とは、文書の最初に出てきたメインテーマに対する疑問(=つっこみ)から始まり、それに対する答え→新たな疑問→答え→疑問とつながっていく過程のこと。
本であろうと雑誌記事であろうとレポートであろうと読み手は、文章を読み進めるとき自分の頭の中に最初に浮かんだ疑問にまず答えてほしいのだ。それをしてもらわないうちに違う話を始められると、頭の中に引っかかった疑問を解消できないままに次の疑問が湧き上がってくる。結果、脳内メモリの容量が不足してイライラしてしまう。
読み手の一つひとつの疑問をできるだけ早く解消していこうとすると、必然的に「つっこみに応える」書き方になり、それをメインテーマから始めると「メインテーマ→サブテーマ→サブサブテーマ→ファクト」という順番になってくるのである。

なおミント女史は「実際に文章を書き始める前に、ピラミッドを構成する主張や事実を並べて、一覧できるように図示し、互いの関係を考える」ことを勧め、これを「ピラミッド図解法」と呼んでいる。
書き出す前に論点を整理しなさい、ということだ。
長い文章をひとまとまりの内容ごとに分けて枠で囲み、図示することで全体の構成を理解しやすくする方法は、いろいろな人が推奨している。
最近流行の「マインドマップ」もその一つ。
これについては今回とは違うテーマとなるので、別に記事を立てて考えてみたい。

●人間の脳のメモリは限られている

『考える技術・書く技術』ではまた、文章を読む際の人の理解のプロセスについても分析している。

文章は1字ずつ、1行ずつ順番に、視覚を通じて脳に入力されていく。
これは音声で伝えることが基本になっている言語情報の特徴だ。二次元、三次元に展開される視覚情報と違い、音声による情報伝達は一次元であり、読み手は文書の中の文章を1文字ずつ読み取り、単語として理解し、単語と単語を関連づけして文章の意味を理解し、文章と文章を関連づけて段落の意味を理解し、段落と段落を関連づけて全体像を把握していく。

ここで問題になってくるのが、人間の脳のメモリは限られていて、順々に送られてくる情報を組み合わせて全体像を把握するには不足気味だという事実である。
その不足気味のメモリのうち、まず言葉の意味を理解するのに一定量をとられ、文と文の関連性を理解するのに一定量をとられ、残りで段落と段落の関連性を考えて文書の全体像を理解しなければならない。
言葉の意味が見てすぐにわからないと、前後の文章からその意味を推察したり、辞書を引いて意味を調べなければならず、その作業に余計なメモリを食われてしまう。だから専門用語や難解語など自分の知らない言葉が大量に出てくる文章は「読みづらい」と感じる。
同様に文章と文章、段落と段落の間の論理的関係性が曖昧だと、読み手は文章の間を行ったり来たりして、その関連性を理解するために頭を働かせなければならない。これも余分のメモリを消費する、「わかりにくい文章」である。

またレポートの場合、文書を伝えようとする理由(メインテーマ)を言わずに文章を始めると、読み手は無意識のうちに「こいつは何が言いたくて、こんなことを書いているのだろう」と、文章を読みながら自分でメインテーマを見つけ出そうと努力する。その作業にもメモリを取られる。さらに考えてもなおメインテーマがわからないと、わかるまでその疑問に脳内メモリが占拠されっぱなしになるので他の作業の処理スピードが低下してしまい、読み手は苛立つ。

以上より、わかりやすい文書を書くためには、
・難解な言葉や専門用語、抽象的な言葉はできるだけ使わない
・一つの文章は簡潔にまとめる
・文章と文章の関係、段落と段落の関係をはっきりさせる
・メインテーマを最初に明示する

といった点に注意すべき、ということだ。

●論理的というだけでは、わかりやすい文章にはならない

最後に「ピラミッド・プリンシパル」の考え方をおさらいしておこう。

・読み手の知らないことを何か言うと、読み手の頭には反射的に疑問が生じる。「なぜそう言える?」「どうやってそれをする?」など。
→これに対して、テーマの論拠となるサブテーマにより、その疑問に答えていく。
従ってテーマとその下のサブテーマは、「疑問-答え」の関係となる
サブテーマは一つとは限らない。いくつもあるときは横に並べてゆく。
→サブテーマもまだファクトのレベルまで具体化しておらず、読み手に新たな疑問を生じさせることがある。そのときはサブテーマのさらに下に論拠となるサブサブテーマを置いて、疑問に答える必要がある。
この「疑問-答え」の作業は、論拠がファクト(数字や名称まで入った具体的な事実)になり、読み手が疑問を持たなくなるところまで、下に向けて繰り返していく
→ファクトのレベルまで到達したら、ピラミッドの最初の枝を離れ、次のサブテーマに移動し、再び「疑問-答え」を続けていく。

ここで書く上でのポイント。
・書き手は、読み手の疑問が出てくる前に答えを書いてはいけない
・誰の目にも当たり前のことをテーマにしても、読み手は疑問を持たない。疑問を生じさせないテーマは読み手に興味を持ってもらえない
・書き手は、読み手が、答えのない疑問を持たないよう気をつける
これらは読者の食いつきをよくし、書き手が答えに窮しないためのテクニックだ。
読み手が疑問を持たないテーマとは、「当たり前すぎて興味を引かない」テーマだということ。
経営コンサルタントの中には毒にも薬にもならないような当たり前すぎるレポートで大金をむしり取ろうとする輩も少なくないが、そんなんじゃ金は取れないよ、という戒めであり、「こちらが答えに困るような質問はさせないよう、客をうまく誘導しろ」というアドバイスでもある。

ミント女史は、
『一つ一つの文章を簡潔かつ直接的に書き、それを論理的につなぎさえすればわかりやすい文章になる』というのは間違った思い込み。読み手の頭の中の理解のプロセスと一致するよう議論を展開していかなければ、わかりやすい文章にはならない
と指摘している。
まことに論旨明快、ごもっともな主張である。
つまり「レポートでは最初にメインテーマを掲げ、あとは読者のつっこみに応えるように書き進める」ということで、筆者も全面的に賛成したい。

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